絵本の旅人

「読み聞かせ」のための実践レポートです!

月はどうしてできたか


『月はどうしてできたか』
  ジェームズ・リーブズ   文    矢川澄子  訳
  エドワード・アーディゾーニ    絵
   評論社 1979年刊 

*******essay

太陽との絶妙な距離と地球自体の適度な質量、そして海の存在、それらは生命誕生の必要最低限の条件だった。
しかし、月という星がなければ、たましいをもった生きものは、生まれてこなかったのではないだろうか。月の引力による潮の満ち引き、波のくりかえしが物質の核を何億年もかけて、ゆらし同調させていった。物質が鼓動や拍動を月の隠れた力からゆずられて、生命体なるものに変化した。そんな説があるかどうかわからないが、月はいのちの源とふかく関わっているように思えてならない。
赤ん坊がゆっくりとゆすられてやすらぐのは、波のリズムからきているのではないだろうか。

夕刻過ぎ、道を歩いていると、ときどきとんでもないところから月が顔をだす。
というかこちらをうかがっているように宙に浮かんでいる。ビルとビルの隙間はもちろんのこと、物干し台の陰や曲がり角の信号機の上からさぐるような視線をこうこうとむけてくる。ルドンという画家が描いた『キュクロプス』という、一つ目の悲しい怪物を思い出したりもする。

そんなふしぎな存在感を人に示しつづけている月。グリム童話をもとにした『月はどうしてできたか』という絵本がある。
月はカシの木にぶらさげられたランプのようなものとして登場する。それをある村からちょろまかしてきた4兄弟。それまでまっくらだった自分たちの村が明るくなる。ただ、かれらが死ぬたびに月は切り取られて棺の中に入れられ、ついに月は死者の国を照らし出すことになる。
死者たちをもよみがえす月のパワー。太陽ではそうはいかない。月明かりで、飲んで歌っての大騒ぎとなる地下の国。
やがていさかいやケンカがそこら中でおっぱじまった。
これも月の魔力のなせるわざ。
その騒ぎが天の聖者の耳にまでとどき・・・。
さて、月はどうなったのか? というよりも「月はどうしてできたのか」がわかる結末が待っているのだった。