絵本の旅人

「読み聞かせ」のための実践レポートです!

ゴムあたまポンたろう

 

『ゴムあたまポンたろう』
 長   新太 作
 童心社    1998年

 

あらすじと感想

あたまがゴムでできたポンたろうが山や大男のつの、おばけのあたまなどに当たって飛んでいきます。あたっては飛んでいく、それひとすじの絵本なのですが、変化球もあります。あたっても飛べないバラの花がでてきたり、そのトゲでチクリと刺されたり、ハリネズミの上に落ちていくと足でキックされたりと、長さんらしい思わぬ展開に楽しくなります。ラスト、ゴムの生みの親であるゴムの木に到着したポンたろう。「すこしやすみなさい」とゴムの木にいわれ、そこですぅーすぅーと気持ちよさそうに眠りにつくのです。
長 新太さんの作品に『わたしのうみべ』というものがあります。海から火をふく怪獣やら、よっぱらったお父さんやら思いもよらないがものがつぎつぎとやってきます。奇想天外なものがあらわる面白さでは『わたしのうみべ』に分があるかもしれません。『ゴムあたまポンたろう』のよさは心に沁みるやさしさと安心感です。ハリネズミはハリでポンたろうを破裂させることはありません。最後のページのちいさな絵をよくみるとゴムの木の葉っぱがポンたろうをやさしく抱きかかえています。そこで眠るポンたろうのやすらいだ寝顔。とてもいいシーンです。


読み聞かせレポート
対象: 小学2年生
場所: 教室(朝の読み聞かせ)

読み聞かせの前に廊下の壁に貼ってある子どもたちの絵を見ました。爆発しそうなほどエネルギーが充満した完熟トマトにんげん、地中から飛び出すダイコン新幹線、ストローになったもやし……野菜がテーマだったのかな。子どもたちの発想の奇抜さにすっかり魅せられました。これから読む長 新太さんは子どもたちに負けないくらい奇想天外な絵を描く作家です。さあ読み聞かせがどうなるか、わくわくします。あたまがゴムでできているポンたろうがさっそく登場します。子どもたちはふーんという感じです。もしかして長さんの奇抜さでは物足りなかった? ページをめくるたびに「これおかしいよ〜」と声をあげる子もいます。そうですおかしいんです。そもそもあたまがゴムでできたやつなんていないんです。夢と現実がごっちゃになった幼年期から卒業する時期なのかもしれません。「これおかしいよ〜」は成長の主張! 
しーんとしたなかでの読み聞かせはとてもいいひとときです。静かに耳を傾ける、じっと絵を見つめる。それだけでもなにかの糧になります。今日は、ちょっとざわついた読み聞かせになったようです。でも、子どもたちのつぶやきやつい口にしてしまったコトバが拾える読み聞かせも貴重です。本音やその時の気持ちを知ることができますからね! 最後のページ、ゴムの木に抱かれて眠るポンたろうを間近で見せたかったなあ。

 

 

ロージー、はがぬける

『ロージー、はがぬける』
 マリアン・マクドナルド   文
 メリッサ・スイート   絵
 松野正子   訳   冨山房   1994年

 

あらすじと感想

ぐらぐらしていたロージーの歯がついに抜けます。抜けた歯は枕の下に入れておく、というのがきまり。そうすれば歯の妖精がとりにきて、かわりに50セントくれるのです。でも、ロージーはそのつるつるの白い歯が愛おしくてなりません。あかちゃんのときからずっとロージーの歯だったから。たとえ50セントもらえてもあげたくありません。そのきれいな歯をパパにみせると、寝るまでちゃんとしまっておきなさいといわれます。ところが寝るときになると、その歯がなくなったとロージー。「はのようせいには、きのどくだったなあ。あれは、とてもきれいなはだったもの」パパがいいます。歯の妖精にごめんなさいという手紙を書き、ロージーは枕の下にいれます。翌朝、歯の妖精から手紙が届きました。歯がもしみつかったら、金のくさりをつけて返してくれると書いてあるのです。するとロージーは歯のあるところがわかるといいだします。そして大切な歯をまくらの下にいれて眠ると……。最後のページはなんど読んでも胸がきゅんとなります。あたたかな気持ちに包まれます。生きているかぎり読み返したい宝ものの絵本です。


読み聞かせレポート

対象: 小学3年生
場所: 教室(朝の読み聞かせ)

歯の抜け替わり真っ最中の3年生にはぴったりのモチーフです。絵本のサイズが小さく、絵柄も繊細なので教室の読み聞かせだとちょっときびしいかなとも思いましたが、文だけでも充分に伝わる作品です。抜けた乳歯をどうするか? これは国や地域によってさまざまなのでしょう。わたしの子どもの頃は、上の歯が抜けたら縁の下に、下の歯が抜けたら屋根に放るという習わしでした。以前、この作品を読んだあとに子どもたちに聞いてみたことがありました。何人かが枕の下に入れるといっていました。屋根や縁の下というのはゼロでしたが、そのときの子どもたちのほとんどがマンションに住んでいたのでこれはしかたないですね。
この本では、歯がどうしてなくなったのか、どこから出てきたのか、言葉でも絵でもいっさい描かれていません。読み聞かせのあと、子どもたちに質問してみたかったのですが、時間がありませんでした。次はぜひ聞いてみたいですね。きっといろいろな答えがかえってくるでしょう。
歯の妖精が金のくさりをつけたことになっています。でも大人が読めばだれがつけてくれたのかわかります。もしかしたら「パパ」だとわかってしまう子もいるかもしれませんが! 妖精でもパパでもどちらにしても子どもにとってはしあわせなエンディングです。もしかしたらパパのほうが心に沁みるかな。読み手である大人の心もほっこりとあたためてくれます。

 

 

ばらいろのかさ

『ばらいろのかさ』
 アメリー・カロ  文  
 ジュヌヴィエーヴ・ゴドブー  絵
 野坂悦子  訳  福音館書店  2019年

 

あらすじと感想

海辺の村にある一軒のカフェ「みずたまエプロン」。そこを切り盛りするのは愛らしく、キラキラ輝いてみんなに慕われるアデルという女性。そのカフェで野菜と果物の出店を開いたり、なにかと世話を焼くのがリュカ。礼儀正しい若者でアデルに好意を抱いています。

太陽のように明るいアデルが苦手なのが雨です。雨の日はふさぎ込み、ときに寝床に入ったまま出てこない有様。ある日、店にばらいろのながぐつが置き忘れられます。持ち主は見当たりません。一週間後、今度はばらいろのレインコートがコートかけにかかっているのです。これも持ち主がいないのです。どれもアデルにぴったりのサイズ。そしてアデルは気がつきます。これは自分へのおくりものだと。次の週、今度は、ばらいろにみずたまもようのかさが置いてあるのです。アデルはだれが自分へおくりものをしてくれたのかわかりました。この日は大嫌いな雨、でもアデルはおくられたばらいろのながぐつをはきコートを着、かさをさして外へと出てみます。雨の音やぬれた草のにおいにどんどん楽しくなっていきます。道のむこうにリュカのトラックがどろにはまって動けないでいます。ふたりは雨のなかで出会い……。

恋心をストーリーにした絵本を読んだのはこれが初めてかもしれません。恋心といってもとても淡くピュアなもので、相手への思いやりがロマンティックに昇華されています。フランス風の洒落たセンスも味わえるカナダの絵本です。

 

対象: 小学5年生
場所: 教室(朝の読み聞かせ)

しばらく続いた曇り空が一掃された快晴の朝。きょうはこの小学校での初めての読み聞かせ。5年生のクラス。若干男の子が多いようです。4、5年生への絵本の読み聞かせは作品選びが難しいといつも感じています。刺激的な漫画の面白さ、魅力を味わっているので、絵本だと物足りない年齢なのです。

教室は落ち着いていて、とても静かです。さて、図書館で一目惚れしたこの絵本(もちろんしっかりと読みましたよ!)、どんな感じになるかな。はじめのうちは表情だけみているとほとんどの子が上の空というか興味のない顔つきです。前半はカフェとカフェを取り巻く状況描写なので、つまらないかな。月曜だし気持ちもちょっと重いよな……。中盤からなぞめいたおくりものの展開になり、興味を覚えてきた感触を得ます。終盤からラブストーリーの雰囲気がでてくると、女子が反応するのがよくわかります。それまで天井や壁に視線をさまよわせていた前席の女の子がやっと絵本に焦点を定めてくれました。最初から最後までしっかりと耳をかたむけこの作品を味わってくれた子ももちろんいました。そんな子が3人もいればわたしとしては大満足です。それと担任の先生がちゃんと聞いてくださることもうれしいですね。先生もこの作品、気に入ったような表情でした。いい絵本は大人も魅せますから。

 

 

ちいさいおうち

『ちいさいおうち』
 バージニア・リー・バートン 文・絵 
 石井桃子 訳 岩波書店 

*******essay

『ちいさいおうち』という絵本がある。
絵本そのものもひかえめなサイズだ。
(大型本もある)
名作中の名作なので
知る人も多いだろう。
太陽が昇り、沈み。
星が輝き、月が満ち欠けする。
日々のなにげない変化と季節の移ろいを
楽しめる、牧歌的な土地に建つ家。
やがて近くにコールタールの道路が敷かれ、
自動車が走り出し、
まわりにたくさんの家が建ちはじめる。
それからはアパートや公団住宅や駐車場……
ありとあらゆる文明的なものが
家のまわりを取り囲んでいく。
高架線やビルディイング、地下鉄……
どんどんどんどん、「ちいさなおうち」が
埋もれそうになるほどだ。
自分の愛した土地が
都会となってしまったことを嘆くが、
やがて人の力もあって
「ちいさなおうち」は、
いなかへと引っ越していく。
そんなストーリーだ。
「ちいさなおうちは」しあわせになれたが、
文明は引っ越すわけにはいかない。
さあどうしよう。
せめていい文明をつくるしかない。

 

アンジュール

『アンジュール』
 ガブリエル バンサン  作
 ブックローン出版  1986年

あらすじと感想

この絵本には文字がありません。言葉がありません。クロッキーで描かれたスケッチ画のみでストーリーが展開されるのです。読むことも聞かす必要もありませんから、読み聞かせでこの作品を取り上げる人はあまりいないでしょう。物語は、郊外の路上で犬が飼い主に放り捨てられるところからはじまります。主人を追って犬は道をさ迷います。そのせいで大きな自動車事故を誘発したりします。ひとけのない海辺をさすらい歩き、やがて街へと向かいます。路地をふらつき、だれにも相手にされず邪魔者扱いされます。行くあてなくふたたび道を歩きはじめます。そのとき向こうから少年がやってきます。少年と捨て犬の出会い……少年は持っていたバッグを置いて犬のもとへ歩み寄ります。犬は少年に抱きつき、少年は犬をやさしく受けとめるのです。ページを占める余白の茫洋とした広がり、そこにデッサン風に描かれた犬の動き、佇まいが捨てられた犬の感情をひしひしと胸に訴えかけてきます。言葉を持たない犬、その心と気持ちをこの絵本は言葉を用いずに描き上げています。
ちなみにタイトルの「アンジュール」は犬の名前ではありません。フランス語でun jour、一日という意味です。原題は――UN JOUR,UN CHIEN。<ある犬の一日>となるのでしょうか。日本語版のサブタイトルは<ある犬の物語>となっています。


読み聞かせレポート 
対象: 小学1年 12人
場所: はまっ子ふれあいスクール

こんな体験ははじめてでした。ページをめくる音だけが聞こえる沈黙の読み聞かせ。1ページ、1ページ、食い入るように子どもたちは絵を見つめます。この作品は57ページあります。ページを開き6~8秒、絵を見せます。すべてめくり終わるまで7分ぐらいの時間だったでしょうか。とても長く感じました。ラッキーなことに人の出入りや電話、校内放送もありませんでした。この時間、静けさと子どもたちの真剣なまなざしにこちらのほうがワクワクしていました。はじめる前にこの絵本には文字も言葉もないことを伝え、絵に集中すること、おしゃべりは絶対にしないことをいっておきました。そして予想に反して!  奇跡的な“読み聞かせ”時間が生まれたのです。だけど、この日は全員1年生。言葉のない作品をどこまでわかってくれたのだろう? 終わってから聞いてみました。しばらくしーんとしていましたが、「はじめはかなしいはなしだけど、おわりはそうじゃない」と女の子が感想をいってくれました。言葉のない絵本から自分の言葉を紡ぎ出したのです。ほかに発言はありませんでした。みんなわかった? ではなくて どう感じた? と聞けばよかったと反省しています。そうしたらもっといろいろな気持ちが聞けたかもしれません。ページをめくる音だけが響いたあの時間、子どもたちの胸にどんなものが渦巻いていたのか、いまも気になっています。

 

 

まさ夢いちじく

『まさ夢いちじく』
 クリス・ヴァン・オールズバーグ   作
 村上 春樹   訳
 河出書房新社  1994年
あらすじと感想

神経質で自分の飼い犬にも冷たい歯科医のピボット。ある日、歯を病んだおばあさんがやってきて治してあげます。ところがおばあさんはお金がなく、治療代にいちじくを2個差し出すのです。このいちじくを食べると夢が本当に起こってしまうというのです。ピボットは怒りますが、しかたなく受け取る以外ありません。ある夜、ピボットはそのいちじくを一つ食べてみました。次の日、飼い犬のマルセルと町へ散歩に出かけると、ピボットの身にとんでもないことが起こりました。昨晩、夢で見たことがそのまま現実となったのです。おばあさんのいったことが本当だとわかり、ピボットは大金持ちになる夢が見られるように一生懸命訓練します。そして、思った通りの夢を見られるようになり、いよいよ残った一個のいちじくを食べようとした矢先、マルセルがパクリ・・・。翌朝、ピボットに信じられないような悲劇が起こるのです。
物語の主役ピボットは性格も顔つきもいやなやつです。なにせ自分の飼い犬をかわいがるどころか、虐待さえしかねない男なのです。だから、最後の大どんでん返しには、思わずカタルシスを覚えるのでした。


読み聞かせレポート

対象: 小学5年生 約30人 
場所: 教室(朝の読み聞かせ)

この日、対するのは5年生。読み聞かせを行う者にとって手強い学年です。4、5年生になるとマンガや映画、ゲームなどでさまざまな物語を堪能しています。自分の好きなタイトルをいくつか持ち、そこにどっぷりと浸かっています。それを超えるか、少なくとも同等の作品を差し出さないと、冷ややかな視線やどんよりとした空気感にさいなまれます。しかし、10分の読み聞かせ時間で、彼ら彼女たちの心を鷲づかみにする物語などそうそうありません。この限られた時間内での戦略は、インパクトを与えることです。媚びることなく、迎合することなく。オールズバーグの作品は、絵もストーリーも陰影に富んでおり、一度その世界に触れたら忘れ得ぬ独特の印象を与えます。さらにこの作品は毒気も含んでいます。この毒気もかいでもらいたかったのです。さて、結果はいかに……。この作品の醍醐味はラストのどんでん返しなのですが、残念ながらそこでは反応がイマイチでした。みんな意味わかった? 思わず聞いてしまいました。でも、ヒーローも優しい者も、いい人も登場しないこの異質の絵本が10分間、静かに、そして厳かに5年生たちを引っ張っていたとわたしは思います。

 

 

ぼくのうちに波がきた

『ぼくのうちに波がきた』
 キャサリンコーワン  作 
 オクタビオ・パス  原作
 マーク・ブエナー  絵    中村 邦生  訳
 岩波書店  2003年

*******essay

クマやネコやカエルが擬人化された物語はたくさんある。
絵本のなかでは、クルマや機関車もおこったり、泣いたり、わらったりする。
ただ、山や海や空がキャラクターとなった作品はそれほど多くない。
まっさきに思いつくのは『ぼくのうちに波がきた』だ。
もともとはメキシコの詩人オクタビオ・パスの『波と暮らして』を原案としているが、
これぞ、絵本のために生まれてきたような奇想天外の話だ。

マーク・ブエナーの絵が当初どぎつく感じられたが、怪異な展開とちょっと残酷なラストにマッチしている。なによりも波がいきいきと描かれている。
キャサリンコーワンの文は、詩人の原案に応えるように充分に詩的であり、訳もすばらしい。その訳者、中村邦生があとがきで、エミリー・ディキンスンの詩篇のなかに、
海から男の波が街までついてくるという作品があり、そこからオクタビオが示唆を受けた可能性もあると書いてある。

エミリーの詩想が深くオクタビオのなかに潜在されていたのかもしれない。あるいは、われわれの遺伝子に刻まれた、海の波はどこまでも押し寄せてくる恐るべき闖入者という「深層意識」がインスピレーションを吹き込んだのかもしれない。

ふたりの詩人がいずれにしても波の魅力に捉えられたことだけは確かだ。オクタビオの詩集をめくってみると、水のイメージが詩篇のそこかしこに散りばめられている。そのなかには水でできたスカートをひらめかせる女もあわわれる。太陽の国、灼熱の地から生まれた詩人にとって、水は格別なエレメントにちがいない。

 月は水でできており、太陽も水であり・・・。

そんな一節もみつけた。

砂漠のように乾いたイメージの月だが、つい最近そこに水が眠っているのがわかった。
信じがたいことだが、太陽にも水があることは定説となっている。言葉はそれ以前に詩人に降りてきたものだ。水に魅せられた詩人の無意識のアンテナが立っていたのだ。
波を連れて帰る気もよくわかる。