ぼくのうちに波がきた
『ぼくのうちに波がきた』
キャサリン・コーワン 作
オクタビオ・パス 原作
マーク・ブエナー 絵 中村 邦生 訳
岩波書店 2003年
*******essay
クマやネコやカエルが擬人化された物語はたくさんある。
絵本のなかでは、クルマや機関車もおこったり、泣いたり、わらったりする。
ただ、山や海や空がキャラクターとなった作品はそれほど多くない。
まっさきに思いつくのは『ぼくのうちに波がきた』だ。
もともとはメキシコの詩人オクタビオ・パスの『波と暮らして』を原案としているが、
これぞ、絵本のために生まれてきたような奇想天外の話だ。
マーク・ブエナーの絵が当初どぎつく感じられたが、怪異な展開とちょっと残酷なラストにマッチしている。なによりも波がいきいきと描かれている。
キャサリン・コーワンの文は、詩人の原案に応えるように充分に詩的であり、訳もすばらしい。その訳者、中村邦生があとがきで、エミリー・ディキンスンの詩篇のなかに、
海から男の波が街までついてくるという作品があり、そこからオクタビオが示唆を受けた可能性もあると書いてある。
エミリーの詩想が深くオクタビオのなかに潜在されていたのかもしれない。あるいは、われわれの遺伝子に刻まれた、海の波はどこまでも押し寄せてくる恐るべき闖入者という「深層意識」がインスピレーションを吹き込んだのかもしれない。
ふたりの詩人がいずれにしても波の魅力に捉えられたことだけは確かだ。オクタビオの詩集をめくってみると、水のイメージが詩篇のそこかしこに散りばめられている。そのなかには水でできたスカートをひらめかせる女もあわわれる。太陽の国、灼熱の地から生まれた詩人にとって、水は格別なエレメントにちがいない。
月は水でできており、太陽も水であり・・・。
そんな一節もみつけた。
砂漠のように乾いたイメージの月だが、つい最近そこに水が眠っているのがわかった。
信じがたいことだが、太陽にも水があることは定説となっている。言葉はそれ以前に詩人に降りてきたものだ。水に魅せられた詩人の無意識のアンテナが立っていたのだ。
波を連れて帰る気もよくわかる。